「言わなくてもわかるよね」教の信者は絶滅せよ

僕がなぜこんなツイートをしたのかは本記事の最後に持ってくるとして、「言わなくてもわかる」について語ってみたいと思う。

 

まず先に言っておくと、このテーマはレベルが低い。なぜなら、これは対人関係、コミュニケーションのあまりにも基礎的なテーマであって、例えば価値の高め方や価値の広め方などの、遥か手前の段階の話だからだ。それで、僕の立場を最初に明らかにしておくと、

「基本、言わないことは伝わらない。伝えたいことはきちんと言葉にして伝える。

もし言わなくても理解してもらえたら超ラッキー、ありがとう!」

である。

 

対人関係、コミュニケーションのうち、まずは公私の公、ここでは仕事について考えてみる。

 

ある程度の年数を重ねた社員は、ある程度の自律判断で、ある程度の仕事をできるようになる。気をつけなければならないのは、その社員の自律判断による仕事の結果が、会社もしくは指導する立場の自分が抱く要求水準を下回った時だ (上回ってくれた時は、心からの感謝を込めて賞賛すればいい)。

 

要求水準を下回った時は、上の立場の者がまず一旦立ち止まって深呼吸して思い返す必要がある。

・年度の初めに、会社としての要求水準を具体的に伝えてあるか?定期的にリマインドしているか?

・単発の仕事を依頼した際に、要求を具体的に伝えたか?不明瞭な依頼や指示ではなかったか?

・依頼を受ける人間の能力からかけ離れた業務依頼ではないか?

・依頼した仕事が遂行されている最中、部下からの質問にきちんと正面から応えたか?(自分の仕事にかまけて片手間な態度にならずに)

具体的に、というのは言わずもがな6W2Hである。最低限は、いつまでに、だれが、なにを、どうする。

上記はいずれも基礎的なことだけど、だからこそきちんと振り返る必要がある。 なぜなら、依頼したこちら側にも責任というものがあるからだ。また、場合によっては相手に変な言い訳をさせないために、真っ先にこちら側には落ち度がないことを確認するのが大人の喧嘩のやり方にも繋がってくるからだ。

 

大切なのは、仕事を依頼する側として、依頼される側の立場や能力を考えつつ、自分が要求する結果が思った通りに出るように、適切に段取りを仕向けているか、である。依頼相手が1人とは限らない。複数の相手に依頼するときなんて、気分はプロデューサーだ。

 

僕が言いたいのは、上記のような自己の振り返りを行わずに、要求水準を下回った時に一方的に叱責をするようのはクソみたいな横暴だということである。そんな横暴はせずに、つまづいたポイントや行き違いが起きたポイントを一緒に見つけてお互いに改善するのが、お互いにとって建設的なのは疑いようがない、と僕は常々思っている。

 

一方で、いわゆる会社組織やその他対人関係において周囲からの高い評価を受けるには、「言わなくてもわかる」の人になることが近道なのは真である。特に細かい依頼や指示を必要とせず、放っておいてもそれなりに大きい結果を継続的に持ってくる社員は、会社や上司からしたら指示が不要なぶん、対時間や対労力のコスパが高いし、気が利くヤツだということにもなるし、可愛いがられる。だから評価が上がる。僕自身、仕事においてはこういう人物像を常に目指している。ただこれは当人の意思でやっているからよいのであって、うまくいかなかった時、要求水準を下回った時に脊椎反射的に、「言われなくてもわかれよ!察しろよ!」と言うのは横暴であって、これを言われた側としては、考え方を強要された気がして気分が悪くなって相手に嫌悪感を抱くであろう。コミュニケーション不和は協業分業において結果や成果から遠ざかるので、破壊的なのである。また、曖昧な表現での指示や依頼を紐解いて確認していく作業は、時間と労力のロスでしかない。個人的には極めてストレスが高まるシーンである。

 

 次に、公私の私、プライベートについて。まずは友達関係。

 

親しい間柄なら、大なり小なり暗黙の了解というものが存在していて、その暗黙の了解のなかでコミュニケーションがズレなく成立していれば、何の問題もない(本当にズレていないのか、もしくは認識がズレていても表面的な結果だけズレていない、ということもあり得るが、ここでは問題として扱わない)。友達に対しては、「言われないからわからない」だったり、認識が合わないことがあれば、素朴な気持ちで質問をすればいい。

例えば僕が親しくさせてもらっている

ジェームズ・ロドリゲス (@James_Rod10RMd) | Twitter さんは、

テキストでのやり取りをしているとしばしば主語や目的語が抜けた文章を送ってくることがあるが、その際は「意味が理解できないから、主語や目的語を省かないでほしい」とはっきり伝えるようにしている。そのことで関係が険悪になることは特に無い (と、少なくとも僕は思っている笑)。

もちろん、友達同士でもお互いの貴重な時間を共有しているので、少なくとも自分発信においては、抜け落ちた意味合いの確認をする質疑1ターンで時間をロスしないようにすることや、相手が解釈に迷わない表現をすることをいつも心掛けたいと思っている (これは相手には要望をしてもいいけど、強要をしてはいけない)

 

ところで僕は、関西の恋愛工学飲み会である"関恋工"の幹事をさせてもらっているが、実はコミュニケーション、対人関係においてものすごく勉強になっている。約20名の日頃リアルで接点の無い様々な属性の人々(経営者、士業、勤め人、学生、小遣い戦士、クソリプ師etc...)を、一定の場所に、一定の日時で、一定の会費と支払い方法で、ある程度一定のノリで集めるのは、簡単なようで実は簡単ではない。「連絡をLINE一発送ってオシマイ」だと、淡白なムードがテキスト上で形成されるように感じて、せっかくの会合が盛り上がらない気がしてしまう。誰が読んでも間違えない文面や、最終情報の配信のタイミング。皆ヒマではないし見落とす人がいるかもしれないから、早すぎても遅すぎてもいけない。会場の楽しめそうな情報(例:旬の●●食べ放題 等)があればグループLINEで共有する。会場候補に電話をして対応が悪ければその時点で候補から外すし、お店の下見の際に店員と会話をして、料理や料金に間違いがないか確認をする。もし間違いがあると、せっかく参加してくれた方に迷惑が掛かるかもしれないからだ。また、ノリが間違った人が参加してしまってもお互いに噛み合わず楽しめず不幸なので、勝手ながら僕の判断でスクリーニングをしている。

これらは全て、参加者や店側とのコミュニケーションだ。言わない限りは伝わるはずのないことを、受け手が分かるように言う。これは幹事業に限らず、対人関係の基本かもしれない。コイツ細かいな、と思われるかもしれないが、上述した、自分が要求する結果が思った通りに出るように、適切に段取りを仕向けているか、に関しては、仕事と関恋工の飲み会の幹事業は、なんら変わりがない。

 

参考記事↓ 

関恋工への僕のスタンス | スーパーサイヤさん | note

 

次に、公私の私の、家族、というか僕の嫁の話につながってくる。これが本記事の冒頭にあるツイートのきっかけである。リマインドとしてもう一度貼っておく。

 

背景を簡単に言うと、朝に嫁が熱を出してしまい、子供達の朝ごはんになるものを急いでコンビニで買ってきたら、「何で昼と夜のぶんは買ってきていないの?」と言われたのだ。嫁の言い分としては、「私の体調不良で朝ごはんが作れないんだから、昼と夜の分も買ってくる必要があるに決まってるよね。そんなこと言われないとわからないの?」である。「言われなくてもわかるよね」教の信者そのものでしかない。そして、「買ってきてくれてありがとう」が、無い。感謝を忘れて、旦那から何かをしてもらうのが当たり前だと思っている。きっとこの程度の嫁は世間に腐るほど居るだろう。「それはアンタの気が利かないだけだぜ、サイヤさんよぉ…」という批判は受け付ける。

 

しかしここでハッキリ言っておくと、「言わなくてもわかるよね」教の信者は、全員がもれなく自意識過剰である。鬼のような嫁も、エラそうな上司も、高飛車な女も全員そうだ。彼らには、「自分から言わなくても、相手は自分が言いたいことや考え方をわかってくれていて、1言えば10伝わって、やってもらって当然」という考えが脳の中で肥大化して染み付いている。おそらく、周囲の人々(家族、恋人、部下etc...)に甘やかされて、大して面白くない話にフンフンとした相槌や過剰なリアクションを受け続けていると、周囲のそれらの反応が当たり前だと信じて疑わないようになるのだろう。そして、周囲の反応が自分の当たり前の水準に達しないと、脊髄反射的に怒りを表明する。ちなみに僕の上司は、立場が上がるに連れて部下にチヤホヤされ続けた結果、話がどんどんつまらなくなって、何を言っているのかなかなかわからない人になってしまった(なんと結論が最初ではなく話の最後に来る!)。

 

相手が誰にせよ、考えてることを聞かずに理解するなんて、わしゃエスパーか!と突っ込まずにはいられない。自分の意思や好意で、相手を察するエスパー力(りょく)を発揮するぶんには良いが、エスパー力を相手から強要されると極めて不愉快である。上述したが、考え方を強要された気がするからだ。こういう輩に限って、発揮してもらったエスパー力をに全く感謝をしないものだ。なので、ぜひとも絶滅して頂きたい。

 

 「言わなくてもわかるよね」教の信者は世間に一定数存在するので、うまくやっていくかやり過ごすしかないが、「言われなくてもわかる」を実践するには観察と経験と、何よりわかろうとする側の自発的な意思が必要とされる。これは労力でありコストだ。いつでも誰に対してでも無限に差し出せるものではない。

 

 だからこそ、僕と会話をしてくれる人たちが僕の話を聞いてくれている時には、なるべく迷わずに小さい労力で理解をしてもらえるよう、心がけて行きたいと改めて思うのである。そういう意味で、「言わなくてもわかるよね」教の信者は、僕に大切なことを教えようとしてくれているのかもしれない。でもやはり、絶滅して欲しい。バルス!!

 

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